お中元の起源
お中元の「中元」は、中国の道教に由来する言葉です。道教では三官大帝という三つの神を信仰しており、彼らは人々の日常生活に深く関わっています。特に、上元(1月15日)、中元(7月15日)、下元(10月15日)の各日は、それぞれ天官、地官、水官の大帝の誕生日にあたり、信者たちは寺院を訪れて罪の許しや不幸を払い清め、幸福への祈りを捧げます。
中元の日には、地官赦罪大帝を祭り、信者たちは一日中火を焚き続けて自らの罪を懺悔します。この火を使った懺悔の儀式が終わると、罪滅ぼしの一環として近隣住民に贈り物をする風習があり、この慣習が「お中元」として日本に取り入れられることになりました。
仏教が日本に伝わると、7月15日の中元は盂蘭盆会と結びつき、お盆の行事の一部となりました。この期間中、家族は親に食品を贈る風習が広まり、特にそうめんや米、塩さばなどが贈られるようになりました。これらの贈答の文化は中元の文化と組み合わさり、日本独自のお中元の習慣として確立されました。
お中元の歴史
お中元の慣習は室町時代に公家たちの間で広がり始め、江戸時代には庶民の間でも親しまれる風習へと発展しました。この時代、うどんやそうめんなどの乾麺が一般的な贈り物として好まれました。商人たちも中元や歳暮の決算期に手ぬぐいなどの小さな贈り物を顧客に配ることで、贈答文化の活性化に寄与しました。
中国の宗教的な贈答時期と商人の配布活動が一致したことで、中元や歳暮の慣習が庶民の間でも一般的な贈答行事として根付いていきました。この時期には、「お世話になった人に感謝を示す」というお中元の本質的な意味が生まれたとされています。
明治30年代には、夏の売り上げが落ち込む時期を活性化させるために百貨店が大規模な売り出しを実施し、お中元の習慣が夏の恒例行事として定着しました。
昭和9年には、老舗百貨店がお中元の配達を開始していた記録が残っています。当時は冷凍便のようなものはなく、缶詰や海苔、砂糖、そうめんなど保存のきく商品が配達の主流でした。特に、赤ちゃん用の蚊帳や浴衣の反物といった実用品が人気を博していたと言われています。
昭和40年代には「三種の神器」と呼ばれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機が普及し始める中、お中元の最も人気のある品はビールでした。7月の暑い時期に冷たいビールを家庭で楽しむことは、家庭用エアコンが普及する前の時代には特別な体験だったでしょう。明治時代からビールはお中元の贈り物として選ばれていましたが、その当時は価格が高く、限られた人々にのみ贈られる高級品でした。